HISTORY 歴史

「港町」の歴史と由緒

※画像は「川崎河港水門」
住む街の過去に興味を向け、知ることでその土地への愛着が一層深まるのではないでしょうか?〈リヴァリエ〉が存する京急大師線「港町」駅の歴史についてご紹介をしていきます。

「港町(みなとちょう)」の由来

1926年川崎市は、運河建設を計画し、2年後の1928年、鈴木町との境に河港の大水門を完成させました。こうして生まれたのが川崎河港で、港町の町名はこれに由来しています。

その昔には、川崎の名産品であった梨、桃、葡萄等を海路で運んでいたといわれています。当時の道路事情では、陸路で運ぶよりも振動が少なく、果物のいたみにくい海路が選ばれたそうです。国登録有形文化財の川崎河港水門には、それらの名産品がモチーフとしてあしらわれています。

「音楽のまち・かわさき」を象徴する土地

※画像は「ミューザ川崎シンフォニーホール」
「港町」の歴史を語る上で忘れてはならないのが、日本コロムビアの存在です。かつてここには日本の音楽産業の草分けとも呼べる日本コロムビアの本社および工場があり、「コロムビア前」駅と称され親しまれてきました。

国産第1号となる10インチの片面盤レコードを発売し、日本の音楽産業の草分けとも呼べるのが、このコロムビア工場です。レコード全盛の時代にはヒット曲等多くの歌謡曲、邦楽、洋楽、クラシック音楽がプレスされ、この港町の工場から全国へと出荷されました。

1931年には屋上に音符マークのネオンサインが完成し、街のシンボル的存在であったとのことです。


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日本歌謡史を代表する歌手美空ひばりさんも、日本コロムビアの所属でした。彼女の代表曲のひとつ「港町十三番地」はこの港町をイメージした楽曲で、駅の南口にはその歌碑が建てられています。

駅舎内は他にも階段には音符のオブジェ、ホームの壁面にはレコードジャケットをイメージした装飾と、音楽に縁ある土地に相応しいデザインが随所で施されています。また駅メロディーにも、「港町十三番地」が採用されています。


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今なお、川崎エリアは音楽とのつながりの強い土地として、多くの人に親しまれています。

中でもJR川崎駅西口の「ミューザ川崎シンフォニーホール」が有する巨大円形シンフォニーホールは、音響の素晴らしさが国際的にも高く評価されており、川崎市のフランチャイズオーケストラである東京交響楽団の定期公演会のほか、ジャズ等多才なコンサートが開催されています。

〈リヴァリエ〉はこの「ミューザ川崎シンフォニーホール」へのアクセスも良く、文化に触れ楽しむ暮らしが叶えられます。
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